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伊藤 岳央
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伝統と挑戦で、演歌・歌謡を次のステージへ

伊藤 岳央

ビクターエンタテインメント株式会社
第二制作本部 A&R1部長

MUSIC AWARDS JAPAN 2025最優秀演歌・歌謡曲楽曲賞 受賞

作品

紅の蝶

アーティスト

山内惠介

山内惠介「紅の蝶(愛盤)」.jpg

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音楽の売り方、宣伝の在り方がめまぐるしく変わっていく2020年代の音楽シーン。ストリーミング全盛の時代にあっても、変わらず人の心を動かすヒットを生み出し続ける人たちがいる。時代とともに音楽の生み出し方は変わっていくのか、スタッフたちの愚直な思いは変わらないのか──アーティストをヒットに結びつける“今"のHit Makersの声に耳を傾ける連載の第4回。

今回登場するのは、ビクターエンタテインメントで山内惠介さんを担当する伊藤岳央氏。J-POPのレーベル現場で培った視点を携えながら、演歌・歌謡の“分業”の現場に入り、コロナ禍を経て「こころ万華鏡」「紅の蝶」と挑戦を重ねてきた。そのプロセスには、ジャンルの更新だけではない、制作とプロモーションの現在地が映っている。

「地元でどう火種をつくるのかがテーマ」
──札幌営業からレーベルへ

──まず、伊藤さんのこれまでのキャリアについて伺えますでしょうか。

私は2006年に新卒で入社して以降、ビクターエンタテインメントにずっと在籍しています。当時はまだパッケージ、CDの営業が中心でした。新入社員はまず営業に行く、という流れが一般的で、私は札幌営業所に2年ほど在籍しました。

ちょうどその頃、札幌のバンドであるサカナクションがデビューする時期でもありました。当時は営業の立場だったので、制作や宣伝に直接関わったわけではありませんが、「BabeStar」という社内で新人のみをリリースしていく実験的なレーベルがあり、サカナクションはそこからデビューしました。

チームも少数でしたし、東京のBabeStarレーベルスタッフとも距離感が近く、コミュニケーションを取る機会が多かったですね。営業としては「地元・札幌でどう火種をつくるか」がテーマでもありましたし、次第に接点が増えていきました。

──そこから東京へ?

2008年頃にBabeStarに異動しました。ラジオ、雑誌、CSなどのプロモーターをしばらく担当した後、「全員でA&Rをやっていこう」というレーベルの方針のもと、手探りではありましたが、A&R的な立場で制作や宣伝のプランニングも行うようになりました。

──営業からスタートし、宣伝もA&Rも経験されているのは強みですね。その頃は、どのようなアーティストを担当されていたのでしょうか。

レーベルの特性として、「新人をとにかく押し出していこう」というカラーが強かったので、新人アイドルからバンド、ポップデュオまで、ジャンルを問わず「良い」と思ったものに取り組んでいました。その後、レーベル名が「FlyingStar Records」に変わり、2〜3年ほど続けました。

2014年からは、「CJビクターエンタテインメント」という、CJ E&M(韓国の会社)とビクターの合弁会社が立ち上がり、当時の上司と一緒に2〜3年、そちらに在籍しました。やっていること自体は大きく変わらないのですが、本社から少し離れ、組織としては別という形でした。

2018年から本社の制作部に戻り、そこからはずっと制作を担当しています。A&Rを軸にした制作業務ですね。その制作部は、ジャンル問わず様々なアーティストが在籍していて、演歌・歌謡曲ジャンルのアーティストも在籍する制作部でした。その流れで2020年から山内惠介さんを担当しています。「担当します、よろしくお願いします!」とご挨拶した直後に、コロナ禍に入ってしまった、という状況でした。

「山内惠介さんの強みは“人と会うこと”」
──コロナ禍でのスタート

──新型コロナウイルスの世界的な流行でエンタメ業界も初めての困難に直面しました。

難しかったですね。山内惠介というアーティストは、コンサートをはじめ、「人と会う」「リアルに会う」というところが何よりの強みであり、大事にしています。それができない状況で、どうしていくか。そこがチームにとって最初のテーマでした。

──J-POPの現場でやってこられた中で、演歌の経験もなく入られることになりました。「山内さんの担当」と言われた時の心境は?

最初は驚きました。子どもの頃、祖母が見ていた演歌番組を一緒に見た、という程度の接点はありますが、そればかりを聴いて育ったわけではありません。もともと演歌・歌謡曲に非常に詳しい、ということでもありませんでした。

ただ、師匠のような先輩ディレクターがいて、その方に色々と教えてもらいました。話を聞くほどに、本当に奥深い世界だなと感じましたね。私自身がA&Rとして見よう見まねでやってきたことを、より具体的に「ディレクターはこうした方が良い」と教えてくれた先輩がいて、その方――金井(雅史)さんには、かなり助けていただきましたし、たくさんのことを教わりました。

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「まず“詞のテーマ”を決める。そこでほぼ勝負が決まる感覚がある」
──演歌・歌謡のディレクション

──それまでのJ-POPディレクターと、金井さんから教わった演歌・歌謡のディレクションの「違い」は何でしょう?

今のJ-POPは、シンガー・ソングライターが多く、歌い手が詞や曲、アレンジ、場合によってはミックスまでも自分で行うこともあります。それはそれで素晴らしいスタイルだと思います。

一方で演歌は、圧倒的に分業制です。さらに「曲先」ではなく「詞先」(メロディーより先に歌詞を作ること)が多い。まず「どういうテーマの詞にするか」という最初の一手を考えるのがディレクターで、そこでほぼ勝負が決まる、という感覚があります。つまり、歌の世界観ですね。何をテーマにして、何を歌わせたいのか。そこがずれてしまうと、いい曲にならない。だからこそ、テーマ設定を考えるのが一番大事だと思っています。

その上で、作詞家・作曲家・編曲家の先生方、そして歌い手にどう伝え、一緒にいいものを作っていくか。先頭に立つ責任は、これまで経験してきた制作よりも一段階上がる感覚がありました。プロデューサー的な要素もある仕事だと思いますが、ひとりで抱え込むというより、多くの人の意見を聞き、「やはりここはこうしたい」というポイントを固めながら進めています。

──制作プロセスとしては、どのように進めていますか?

「紅の蝶」のような楽曲に関しては、まず打ち込みデモの段階で「おそらくこのキーだろう」というものを歌い手に渡し、キーとテンポが適切かをチェックする、いわゆるヴォーカルのプリプロを行います。そこで「キーはこれでOK、テンポもこれでいきましょう」と決まったら、ドラム、ギター、ストリングスなどを録っていきます。

オケRECに歌い手本人が来て歌うと、ミュージシャン側も「この歌い方なら、もっとこうした方が良いですね」といったやり取りが生まれる。それをさらに詰めて、歌録り日を決める、という流れです。

──いわゆる「伝統的な演歌」だと、ギター1本のデモで当日レコーディング、というイメージもありますが。

確かに、今もギター1本の弾き語りデモが上がって、キーを確認して、アレンジはオケREC当日に初めて合わせる、という制作楽曲もあります。多くのレコーディングはビクタースタジオで行いますが、生でしっかり時間をかけてレコーディングできるのはありがたい環境だと感じています。

「演歌とJ-POPの“壁”は、もう少し薄くてもいいんじゃないか」
──「紅の蝶」へつながる発想

──曲の世界観をディレクターがまず決め、先生方に提案していくというお話は興味深いですね。演歌には“北の海の情景”のような王道イメージもありますが、新しいテーマも探し続けるのでしょうか。

そうですね。山内惠介さんは演歌が大好きで、美空ひばりさんに憧れて、17歳で歌手の世界に入った方です。演歌・歌謡曲が本当に好きな歌い手です。演歌・歌謡を良き文化として歌い継いでいくことで、伝統的なものとしての軸は持ち続けたいと思っています。

一方で、他にもやれることがあるのではないかとも感じます。山内さんの素晴らしさは、王道演歌をがっつり歌いこなせる一方で、J-POPの要素が入った楽曲でも、良さを保ったまま歌える点にあります。

なので、演歌とJ-POPの「壁」は、もう少し薄くてもいいのではないかと感じています。演歌からJ-POPへ行くのか、J-POPから演歌へ行くのか、という方向はありつつも、少しずつ混ぜていくようなことをやっていきたい、その想いで制作したのが「紅の蝶」です。

──山内さんご自身は、新しいアプローチに順応されるタイプですか?

とても前向きに取り組んでくれます。演歌が大好きという前提は持ちつつも、演歌しか歌わないという発想ではありません。新しいチャレンジを楽しんでくれています。

デモを渡して「この日に合わせましょう」と伝えると、そこではもう完全に山内惠介のものになっている。一般的に想定される歌い方とは違う、山内惠介ならではの歌唱として消化しているのがすごいところだと思います。

──デモ段階から、どんどん進化していく感覚があると。

歌の表現としてのイメージは当然私たち制作側も持っていますが、それを超えた表現で返してくれることも多い。準備も含めてストイックなので、歌録りは刺激的です。こう来たか!と思うことがあります。

「紅の蝶」については、アレンジをかなり詰めた状態で山内さんに渡したので、そこから大きく変えることはありませんでしたが、本人の仮歌デモをミュージシャンに聴いてもらうと、演奏の熱量やニュアンスは変わりましたね。

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「『こころ万華鏡』の拍手で、“道は間違っていない”と思えた」
──村松崇継×松井五郎との制作

──今回の「紅の蝶」は、新しいリスナーに聴いてもらいたい、という狙いも?

それはあります。「紅の蝶」は2024年リリースですが、その前年に「こころ万華鏡」があり、作家陣としては「紅の蝶」が2作目という位置づけです。演歌・歌謡曲のフィールドで20数年間戦ってきたところは大事にしつつ、新しいリスナーに向けた取り組み、新しいこともやっていきたい、という思いがチーム全体にありました。

ただ、闇雲に新しいことをやって、「演歌歌手でなくても成立するような音楽性」になってしまうと、「なぜ山内惠介がこの曲を歌っているのか」と受け取られかねず、それは避けたかった。演歌の定義については様々ありますが、例えばヨナ抜き音階で、七五調で歌詞の文字数が多すぎない、といった型がある中で、その型を極めることはもちろん大事です。

それと同時に、歌謡曲とも違う、広く言えばJ-POPだが、まだ名前のついていないジャンルのようなものができたら一番良いね、という話をしていました。

──制作陣との出会いで大きかったのは?

村松崇継先生との出会いですね。クラシックで実績をお持ちの方で、一方で幼い頃に民謡を聴いていて、日本の音楽文化にも造詣が深い。「こころ万華鏡」は2023年のシングルですが、シングルでこうした挑戦をするのは初めてだったので、お客様の反応は正直ドキドキしました。

山内惠介のファンの方の年齢層はとても幅広いのですが、その方々が「こころ万華鏡」の初披露で大喝采してくださった。そこで間違っていなかったという手応えを感じました。とはいえ、1年では浸透しきれなかった部分もあり、その経験を踏まえて制作したのが「紅の蝶」です。作詞は松井五郎先生にお願いしました。

──作り方としては「曲先」なのですね。

曲先(歌詞より先にメロディーを作ること)ですね。よりJ-POP的な作り方と言えるかもしれません。今は曲先が多いと思いますが、松井五郎先生はどちらにも対応してくださるので、「曲先でお願いします」という形で進めました。こちらが「こういう曲です」とお渡しすると、松井先生から「すごいものができたね。面白い。」と言っていただけたのが印象に残っています。

──その2曲を歌う山内さんに変化は感じましたか?

演歌歌手として、磨きに磨いてきた方です。こぶしをどこでどう利かせるかという技術を、新しい曲の中で「やりすぎず、残す」というところをしっかりと捉えて、絶妙なバランスで成立することができました。また、リズムの取り方が従来の演歌とは違うので、歌の引き出しも増えたのかなと思います。

──ご本人も楽しそうですか?

難しいとは言いながらも、慣れるまで、自分の体に入れるまで、という姿勢で楽しんでくれています。「紅の蝶」も「こころ万華鏡」も、確かに難しい。でも、挑戦しがいがある歌だよね、という捉え方で、楽しんでくれていると思います。

──受賞の話に移ります。MUSIC AWARDS JAPANで受賞した時の心境は?

驚きましたが、素直にうれしかったです。新しい挑戦の結果として、しかも第1回の賞をいただけたのは光栄でした。自分たちが信じてやってきたことがこうして評価されるのは、とてもうれしいですね。

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山内惠介「こころ万華鏡」

「“1年1曲”を、カップリング違いで走り切る」
──演歌・歌謡のプロモーション設計

──演歌のプロモーションは、伊藤さんが過去に経験されてきたJ-POPの“回り方”と異なる点も多かったでしょうか?

違いますね。J-POPの場合、シングルを年に何度かリリースして、それを軸にアルバムを作り、アルバムで世界観を表現するツアーを行う、という流れが分かりやすいと思います。

一方で演歌・歌謡曲では、年初に発売する1曲をその年の勝負シングルにする。それをリード曲にした上でカップリング違いで複数形態を出し、カップリング曲も含めた世界観を作っていきます。リードは変えずに、カップリングではテイストの違う曲を入れるといった考え方ですね。

その時期のツアーは、リード曲を中心にカップリングも含めてセットリストを組む。さらに期間を空けて夏頃になると、リード曲はそのままに、ジャケットとカップリング曲を変えた新装盤を出す。秋にも別の新装盤を出し、また別のコンサートに合わせてカップリングを設定する、という形です。カップリングという呼び方にはなりますが、そこに優劣があるわけではありません。リード曲を中心にしながら曲を届けていく。1年間でリリースする楽曲数としては、アルバムとそれほど変わらないと思います。

──年初に買うのはコアファンで、後半に広げていく。

まさにそうですね。年初の1曲だけで年内を走り切るというより、カップリングを変えることで、店頭や配信でももう一度展開してもらえる。その都度、新曲にリーチする機会を増やしていく、という考え方です。

──山内さんの楽曲の場合は、演歌を聴かない世代もジャンルを気にせず一緒に歌ってしまうような感覚があるかもしれません。

演歌が好きなお客様はもちろん大切にしたいです。一方で、演歌を普段聴かない層にも「ジャンルは分からないけど、これ良いね」「私が聴いても良い曲」と思ってもらえる余地はあると思います。

──この取材の準備で山内さんの楽曲を聴いていると、“あれ?”という新鮮な驚きの連続でした。勝手に抱いていた演歌のイメージがない曲も多かったので。

そういう反応はうれしいですね。想像以上に受け入れていただけていると感じます。お店の方もそうですし、メディアの方からも「よくやった」「素晴らしい」という反応が多い。山内惠介だからこそできた、と腑に落ちて聴いていただけている空気感はあります。

──伝統と新しさのバランスは「どこまで崩していいのか」という点で難しいですよね。

難しいですね。村松先生に曲をお願いし、松井先生と詞を作っていく中で、実は演歌であることを意識しすぎないようにしました。音楽的に「ここは残す」と決めてしまうと、どうしても縛りが強くなるので。

演歌歌手・山内惠介の歌にするために重要だったのは、和楽器を入れること、そして山内惠介の歌唱です。彼が歌うことで、演歌歌手のDNAが刻まれる感覚がある。音階もいわゆる演歌の音階ではないですし、歌詞も言葉数が多いなど、従来の演歌の型とは全く違う。それでも、DNAを残したまま新しいものを作っていく、という感覚でした。

──演歌を“専業”でやってきたディレクターでは生まれない発想だったのではないでしょうか?

そうかもしれません。私が20年ずっと演歌をやり続けてきたディレクターだったら、この発想にはならなかった可能性はあります。私がぼんやり思っていたことを形にしてくださったのは村松崇継先生、松井五郎先生という先生方の力ですし、それを自分のものとして歌いこなした山内惠介だと考えています。

──いわゆる“お師匠”と言われるディレクターの方々からの反応はいかがでしたか。

褒めていただきました。「お前じゃなかったら、こうはならないよね」と。「俺だったら、ここはこうしたくなる」といった話や、コード進行の話も出ました。村松先生は結構攻めたコードを使っているので、「本当に大丈夫か」と感じる瞬間もあったかもしれません。

ただ、コミュニケーションを取りながら進めていきましたし、金井さんに「これはこのまま行かせてください」と言ったら、「お前がそう思うなら、それでいい」と背中を押してもらえたのはありがたかったですね。

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「SNSと配信が、“新しい入口”になってきた実感がある」
──YouTubeショート/Dolby Atmos/チームの現在地

──YouTubeも含めて、演歌全体がSNSにシフトしているのか、あるいは山内さんが特に心がけているのか、そのあたりはいかがでしょう。

ここ10年くらいで宣伝手法は大きく変わってきています。テレビ、ラジオを大事にしつつ、SNSをどう活用していくかはチームでよく話してきました。

特にコロナ禍で否応なくSNSで発信しないといけない状況になったことをきっかけに、より力を入れるようになりました。コアファンの方も「YouTubeってこういうものなんだ」と楽しんでくれて、それならTikTokも始めようか、という流れでした。

──SNSでは、楽屋の裏側のような角度から人間性が見えるのも面白いですよね。

そうですね。楽屋での様子を通じて山内さんの人となりが垣間見え、それをファンの方が喜んでくださる。YouTubeショートも積極的に上げていますが、既存のファンだけでなく、これまで接点がなかった層が反応してくれている体感もあります。そこは大事なポイントだと思います。

──アルゴリズムで曲に出会う可能性も広がる。

そうですね。広がることができる土台が曲そのものにあるので、ショートの切り出しも含め、若手スタッフと「ここで切ったらいいかもしれない」と話し合いながらやっていますし、良い作用が生まれている感覚があります。

──チームの年齢構成は?

山内チームはベテランも多いです。宣伝のアーティスト担当が50代、パッケージの販促担当も50代、私が40代。デジタル担当は20代、といった形で、半分くらいは20代の若手で構成されています。若手の声もベテランの声も両方ある。大事にしなければいけないことは共有しつつ、若手から「こうしたらもっと良くなる」と提案があり、「それをやってみよう」という空気があります。

──山内さんも新しい施策を面白がって乗ってくれますか?

新しい取り組みでも、「それはどういう仕組みなのか」を理解しながら取り組んでくれます。サービス精神に溢れていて、トークもとても上手なので、「こういうコメントを撮ってみましょう」と提案すると面白がってやってくれますね。

──コンサートでの触れ合いと、スマホ越しの触れ合いが両輪で回っていますね。

コンサートは引き続きたくさん行っていきますが、その合間を縫って取材をしたり、楽屋でSNS向けの撮影をしたり…。ここ数年で若い人からのつながりを感じるようになりました。

また、これは理想と思ってきたことなのですが、例えば80代の方がいて、その娘さん世代が50〜60代、さらにそのお子さんの世代もいて、3世代で来てくださる方が増えてきました。握手会などで「家族3人で来ました」と言っていただいたり、「この時期は家族みんなで、惠ちゃんのコンサートに行くのが年中行事です」と聞くと、とてもありがたいですし、うれしいですね。音楽的な面も含め、世代を超えて愛される歌手に、さらに成長していけたらと思っています。

──配信へのアプローチについても伺いたいです。演歌の世界でも配信は無視できない状況だと思うのですがどうでしょうか。

「紅の蝶」の1つ前にリリースした「こころ万華鏡」から始めました。配信メインで聴く方は、演歌ファンだとまだ多くなかったのですが、「こころ万華鏡」から「紅の蝶」にかけて、壮大なアレンジの楽曲になったので、Dolby Atmosをやってみようということになりました。調べてみると、演歌・歌謡ジャンルでやっているアーティストはどうやらまだいないんじゃないか、となり、ぜひ挑戦してみようと思いました。

Dolby Atmosに取り組んだ結果、例えばApple Musicの空間オーディオプレイリストでは演歌・歌謡曲プレイリストはまだないので、空間オーディオJ-POPのプレイリストに入れてもらいました。

そうすると普段では並ばないアーティストラインナップに山内惠介が入る形になり、再生回数が伸びるなど、目に見える変化がありました。「よく知らなかったけど、これ良いね」と最後まで聴いてもらえて、プレイリストに長いこと残った。新しいユーザー層にリーチできたのではないかと思います。

──MUSIC AWARDS JAPAN自体が「日本の音楽を海外に」というテーゼもあります。演歌の海外進出については?

演歌というジャンル全体としては分からないですが、山内惠介に関して言えば、意識はしています。ただ、いきなり海外を目指すと足元がおぼつかなくなるので、まずは国内でどこまで認知を作れるかを大切に考えています。

一方で、ミュージック・ビデオやジャケットなどのクリエイティブでは、海外の方の目に留まりやすくするにはどうすればいいか、という意識は持っています。一朝一夕でできるものではありませんが、時間をかけてじわじわ海外のお客さんに届いていく形になればいいな、と。

伊藤岳央氏が語る山内惠介さんの制作現場には、演歌・歌謡が長く培ってきた分業の作法と、J-POPの現場で磨かれたA&R視点が、無理なく接続されている。詞のテーマ設定から始まるディレクション、王道を背負う歌唱の“DNA”を残しながらも「壁」を少しずつ薄くしていく発想、その受け皿としてのチームの対話が、「こころ万華鏡」から「紅の蝶」へとつながる必然を形づくっていた。

コロナ禍を契機にSNSでの接点を育て、配信ではDolby Atmosやプレイリスト導線まで含めて「新しい入口」を増やしていく──その一つひとつは派手な近道ではなく、‘山内惠介’という存在の輪郭を崩さずに裾野を広げるための、地に足のついた更新でもある。伝統を守ることと、新しい聴かれ方を獲得することを二項対立にせず、時間をかけて“次のスタンダード”へ橋を架けていく。その姿勢こそが、これからの演歌をジャンルの枠を超えて響かせる可能性を拓いていくのかもしれない。

(TEXT:油納将志 PHOTO:島田香 PRODUCE:本根誠)

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Hit Makersが選ぶ原点の5曲

My Roots 5

by 伊藤 岳央

song top 1

こころ万華鏡

山内惠介

song top 2

Tonight, Tonight

The Smashing Pumpkins

song top 3

cream soda

スーパーカー

song top 4

三日月サンセット

サカナクション

song top 5

Go Around

DadaD

PROFILE

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伊藤岳央/いとう・たけお

福島県出身。2006年ビクターエンタテインメント入社。札幌営業所での2年間のパッケージセールスを経たのち、2008年から同社BabeStar Labelでメディアプロモーションを担当。その後制作部にて様々なアーティストのA&R、制作業務を行う。2020年から山内惠介の制作を担当している。

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